沖縄旅行記 その⑦
西中島(新大阪)エリア CAナイト 岩木
15/08/25 17:36
最終日の朝を迎えました
あっという間の2泊3日でした。
最終日は何をしようかね
沖縄戦について学びに行こう
という事で、
70年前の沖縄戦当時、司令部として使用された防空壕「旧海軍司令部壕」に行きました。
資料館には戦争当時の遺品、弾薬や武器、沖縄戦の写真等、戦争に関する資料が展示されています。
そして沖縄戦と言えば、
日本海軍中将の太田実が自決する直前に、海軍次官へ送った電報が有名であります
沖縄県民の戦い振りを記した電報。
それを現代語に訳したのがこれ
沖縄県民の実情に関して、権限上は県知事が報告すべき事項であるが、県はすでに通信手段を失っており、第32軍司令部もまたそのような余裕はないと思われる。
県知事から海軍司令部宛に依頼があったわけではないが、現状をこのまま見過ごすことはとてもできないので、知事に代わって緊急にお知らせ申し上げる。
沖縄本島に敵が攻撃を開始して以降、陸海軍は防衛戦に専念し、県民のことに関してはほとんど顧みることができなかった。にも関わらず、私が知る限り、県民は青年・壮年が全員残らず防衛召集に進んで応募した。
残された老人・子供・女は頼る者がなくなったため自分達だけで、しかも相次ぐ敵の砲爆撃に家屋と財産を全て焼かれてしまってただ着の身着のままで、軍の作戦の邪魔にならないような場所の狭い防空壕に避難し、辛うじて砲爆撃を避けつつも風雨に曝されながら窮乏した生活に甘んじ続けている。
しかも若い女性は率先して軍に身を捧げ、看護婦や炊事婦はもちろん、砲弾運び、挺身斬り込み隊にすら申し出る者までいる。
どうせ敵が来たら、老人子供は殺されるだろうし、女は敵の領土に連れ去られて毒牙にかけられるのだろうからと、生きながらに離別を決意し、娘を軍営の門のところに捨てる親もある。
看護婦に至っては、軍の移動の際に衛生兵が置き去りにした頼れる者のない重傷者の看護を続けている。その様子は非常に真面目で、とても一時の感情に駆られただけとは思えない。
さらに軍の作戦が大きく変わると、
その夜の内に遥かに遠く離れた地域へ移転することを命じられ、輸送手段を持たない人達は文句も言わず雨の中を歩いて移動している。
つまるところ、陸海軍の部隊が沖縄に進駐して以来、終始一貫して勤労奉仕や物資節約を強要されたにもかかわらず、ただひたすら日本人としてのご奉公の念を胸に抱きつつ、遂に‥‥(判読不能)与えることがないまま、沖縄島はこの戦闘の結末と運命を共にして草木の一本も残らないほどの焦土と化そうとしている。
海軍次官宛の電報、
食糧はもう6月一杯しかもたない状況であるという。
沖縄県民はこのように戦い抜いた。
県民に対し、後程、特別のご配慮を頂きたくお願いする。
沖縄県民への愛情、
そして沖縄県民を守る事が出来なかった無念さ、様々な思いが読み取れます。
旧日本軍は決して血も涙も無い人達ではなかった。
太田実は、この最後の電報を打ち終えた後、壕の中で自決されました。
この最後に残された、沖縄県民に対する、愛情あふれる電報を見て、ただただ合掌するのみです。
CAナイト 女の子の写メ日記
CAナイト 女子求人のご案内
漫画で解る‼
セクキャバ 初めての体験入店‼
2キャバ大阪 男子求人のご案内
2キャバ大阪 女子求人のご案内
【西中島南方エリア】
びじん学園
セキララらぶ
びじん館
【大阪梅田エリア】
和風ぱみゅぱみゅ
白衣のぱみゅぱみゅ